室町幕府第六代将軍・足利義教(よしのり)は、鹿苑寺金閣を作った義満の子で、慈照寺銀閣を作った義政の父です。
金閣や銀閣は国宝の有形文化財ですが、義教は無形文化の分野で画期的な仕事をしました。それは新年を祝う松囃子(注1)の芸能を発展させたことです。
義満は将軍として、初めて能を見、パトロンとなりましたが、鑑賞者にすぎませんでした。
義教は、大名の一族郎党や町女房(アマチュア)に、空前のパフォーマンス・風流(注2)の松囃子を行わせました(大名松囃子、女松囃子)。
また義教は、職業的芸能者である観世(プロフェッショナル)に始めさせた松囃子(祝言の芸能と能の会)を、武家の盛大な新年儀礼に制定、猿楽を農耕文化から、武家の式楽(しきがく=儀式に用いる楽)にして発展させるという「創造」を行いました。
松囃子は、民俗芸能の「菊池の松囃子」(国指定重要無形民俗文化財)が松囃子御能保存会(熊本県菊池市)により伝承されていますが、狂言の演目「松囃子」(和泉流)・「松脂」(和泉流・大蔵流)では、狂言の演出として松囃子が演じられます。
「松囃子」から「能」(ユネスコ世界遺産登録)へ…、という日本独自の文化の開花時のエネルギーを、祝とう(神への祈り)の「松づくし」で受けとめていただきたいと思います。